「インド・ネパールの社会と文化に触れる旅」フォト日記 09.12.2
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先ず訪れたのは「インド門」です。第一次世界大戦のとき、インドの兵隊がイギリス軍の一部として参戦し、戦死した兵を祈念して建てた、と。↓ 「南アジアの歴史」では、当時を「第一次世界大戦によってビルラーをはじめとするインド民族資本は、産業各分野で大きく伸張した。しかし、一般のインド人の生活は、大規模な徴兵、増税や戦費ローンや物価上昇などによっていっそう厳しくなり、彼らの不満は高まるばかりであった」(P165)と。 |
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↓ クトゥプ・ミナール建造物群へ(「勝利の塔」をバックにパチリ!) 此の「勝利の塔」は、今もインドで最も高い石造の塔で、5層あるがその高さは72.5メートル。基部の直径はおよそ15メートル、最上部は3メートル程度、と。 1192年、後に奴隷王朝を打ち立てるクトゥブ・ウッディーン・アイバクが、北インドを制圧した記念に建立したのがqutub_minar(クトゥブ・ミナール)=勝利の塔。 |
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↓ 塔の基部辺りです。 | ||||
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有名な「錆びない鉄柱」。4世紀に鍛造された高さ約7.2メートルの鉄柱。 雨ざらしだがほとんど錆びていないという。それは100%近い純度とか。↓ |
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↓ 遺跡群のとある柱の彫刻です。 | ||||
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↓ 未完成アラーイ・ミナールの塔 (何故未完成か?はネットで調べてみて!) |
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タージマハル(翌日3日に訪問)の原型といわれるhumayun_tomb↓ | ||||
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○ | ↓ ネルー大教室へ この雰囲気、懐かしいでしょう! | |||
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↓ 若い頃を思い出して「パチリ!」 | ||||
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エレベーターホールにも | ||||
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読解力のある方はチャレンジを。↓ | ||||
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↓ お部屋のドアーです。 | ||||
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↓ ネルー大学Dr.P.Motowani(日本語科教授) | ||||
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Dr.P.Motowaniレジメ(部分)から → ![]() |
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モトワニー教授の講演要旨の類似内容が 「中村学園大学」のホームページにPDFで載っていますので紹介します。 ![]() (この頁に戻るには、ブラウザーの「戻るボタン」をクリックして下さい。 第一部 「 海外における日本ビジネスの人材育成の問題点〜インドのケース〜 第二部 「遺跡にみるデリー」この部分は |
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↓ インドの派手婚の一幕 婿殿は馬に乗って | ||||
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↓ 電飾担ぎも楽じゃない | ||||
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↓ 電飾はコードで発電機へ繋がっています。 | ||||
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